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思い立って三軒茶屋まで。
キャロットタワー行こうか、カルディ行こうか考えたんだけれど、
風も涼しくて面白そうな雰囲気だったから、そのまま246を厚木方面へ。
ひっきりなしに車が横を通り過ぎ、走り去る音がする。
いつもはうるさく感じるこの音も、今日は余計なことは考えたくなかったから、かえって良かったのかもしれない。
何にも考えずに道なりに歩く、歩く、歩く。
一心不乱に歩いていたから、意外と駒澤大学にはすぐついた。
駅が近づいたあたりからお店と人がじわじわ増えてくる。
駅を通り過ぎた所にスーパーと八百屋さんがあり、悩みに悩んでさくらんぼとバナナを購入。
歩きながらさくらんぼ食べたの、美味しかったなぁ〜。
途中外観が素敵なお店を見つけた。
目的地の用賀に到着。
帰路につきました。
置きっ放しにしてたポリパンがこんなん。
うわわ。
初めて作ってみたけど美味しいなあ〜。
素朴な味とはこのことやな!
同居人が帰ったら食べてもらおう。
ちゃんちゃん。
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パーマネント野ばらをみ返した。
何度見ても良い映画だなあ。
小さな漁村の閉塞感、
みんな知っているという息苦しさと安心感、
時々温かく包まれる優しさと絶望に叩き落される、あの嫌な感じ。
いつもの場所にいつものメンバーがいて、
ちょっとずつ世界は変わるんだけれどそれでもまた同じ所に戻ってくる。
いつまでこれを繰り返すんだろうと、時々不安になったり、時々安堵したりする。
カシマと会うときだけは別の世界の出来事のようで、
昔撮ったビデオを、その中身が更新されないビデオを引き延ばしたり色を変えたり、逆再生したりして繰り返し見ている。
いつかは生き生きと感じることがなくなるかもしれない、
同じようなことを言うその影が、ただの影だと気付いてしまうかもしれない怖さが
定期的に襲ってくるんだけど、今はまだ大丈夫。
大人になるまでは、大人のすること言うこと全部にがっかりして、
それでもお母さんに必要とされたくて。
そのなおこから見たらカシマは大人の男の人で、
今もなおこが自立していられるように、子どもになりそうな時に声をかける。
もしかしたら、カシマも自分が死んだことに気づいていないのかも?
生きていなくても、生きていても、
迷ったとき、しんどい時、寂しいとき、感動した時に、
自分の中で語り合える人がいることは意味があるんじゃないかなぁ。
現実に同じことができる人がいようがいまいが、
自分の中でだけ誰かと完結するって何て幸せなんだろう。
泣きたいくらい、心地良い。
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正直戸惑っている。
この前まで、そういう世界とは無縁だと思っていたのに、
大人が集まるときには沢山の決まりがあって、
考えなきゃいけないこともそこらじゅうにあって
踏まないように、音を立てないように歩くけれど、こんなにいっぱい。
どう考えたって期待されてるようには振る舞えない。
それって私がダメだから?
心配だらけで、とっても苦しい。
全部知らんぷりできたら良いんだけれど、
それは何か無責任で嫌なんだよね。
難しくても果たさなきゃいけないことだってあって、
必要以上にやる必要はないけれど、最低限よりやらないで良いことはないと思うんだよね。
なーんちゃって!
お祝いをもらったらお返しをしなきゃいけないし、誰かが亡くなったら葬いをする。
その中の煩わしいこと、
洋服はどうするか、お金はいくらにするか、髪型は?形式は?
ただ選べば良いだけなら何て楽ちんなんだろう。
宗教や思想や好み、年齢、季節、予算、
私には考える事が多すぎる。