■
パーマネント野ばらをみ返した。
何度見ても良い映画だなあ。
小さな漁村の閉塞感、
みんな知っているという息苦しさと安心感、
時々温かく包まれる優しさと絶望に叩き落される、あの嫌な感じ。
いつもの場所にいつものメンバーがいて、
ちょっとずつ世界は変わるんだけれどそれでもまた同じ所に戻ってくる。
いつまでこれを繰り返すんだろうと、時々不安になったり、時々安堵したりする。
カシマと会うときだけは別の世界の出来事のようで、
昔撮ったビデオを、その中身が更新されないビデオを引き延ばしたり色を変えたり、逆再生したりして繰り返し見ている。
いつかは生き生きと感じることがなくなるかもしれない、
同じようなことを言うその影が、ただの影だと気付いてしまうかもしれない怖さが
定期的に襲ってくるんだけど、今はまだ大丈夫。
大人になるまでは、大人のすること言うこと全部にがっかりして、
それでもお母さんに必要とされたくて。
そのなおこから見たらカシマは大人の男の人で、
今もなおこが自立していられるように、子どもになりそうな時に声をかける。
もしかしたら、カシマも自分が死んだことに気づいていないのかも?
生きていなくても、生きていても、
迷ったとき、しんどい時、寂しいとき、感動した時に、
自分の中で語り合える人がいることは意味があるんじゃないかなぁ。
現実に同じことができる人がいようがいまいが、
自分の中でだけ誰かと完結するって何て幸せなんだろう。
泣きたいくらい、心地良い。